前編はこちら、読んでいない人はそちらから。ここからは午後。
【番宣】こちらもぜひ
4 土浦第二高校「奇跡と呼ばれた日」
平舞台、中盤に箱を持ち込んで舞台構成。戦争名列挙と、おじいちゃんの回想というサンドウィッチ回想をとっていた。しかし、あまり前後でアークがなく、しかも仮想の世界、WW1とは無関係という世界線を採っていたのに、回想内容はサッカーなどWW1そのままであった。どこか既視感がある。
回想であることをなくし、オリジナルの世界線としてディテールを強め、どう生かすかは観客に投げてしまった方が、インパクトを確保できたのではと思う。歴史描写は、どれだけ主観性を持たせるかに正解がなく、非常に難しい分野である。身体的表現力には非常に秀でていたからこそ、もったいないなあという感じであった。
5 市川学園市川高校「ばれ★ぎゃる」
ギャルの格好・ソウルでバレー部をする話。2つの異質なものをくっつけるという、コメディでは一種王道な発想ではある。
舞台は上下を活用することで、両チームが観客側に向いたり、スペースを確保したり。時間進行は中央にタイムリープを挟むものの、昼夜昼の1.5日構成。
すごいのは、コメディだからといって特に何かを誇張したりバカにしたりすることなく、確実に笑いが取れているところである。ギャルという画としてのインパクトはもちろん、適切なタイミングでずれを伝える脚本技術あってこそだろう。
中盤で2000s「やまんば」で母親がギャルだった時代にワープするのは、ストーリー展開に意外性を持たせ、転換点としている。今思うとバックでかかった「ポイズン」も、リープの伏線としてはまっていたのだろう(GTO:1998)。
母親とライバルが同じ演者であり、クライマックスで2人を重ね合わせることで、同じくギャルだった母親に主人公が打ち勝つのは、演劇ならではであると共に、よく考えられている。
エンタメを作る奥深さと難しさは、自分が誰よりもわかっているつもりである。その中でこの作品に点をつけるなら、90点は超える(そんなことは非常にレアである)。ほぼ完璧な運びであったと言えるだろう。ということで、FKポイント(要らねえ)。
6 身延高校「クニタチは遥か彼方に」
今回7つの中ではほぼ唯一の、舞台セット作りこみ系。舞台端の駿台段ボールや、壁の汚れがいい味を出している。でもそのまま即興劇もやってしまう。時間進行は夕固定(難しいのはわかるが、昼休みとか入るとバリエーションが増えるなと思ったり)。
演劇部が久しぶりに創作台本を作る話。顧問の気持ちと、全国大会のため創作したい生徒の思いの対立のなかに、優しい思いが見える。
自分も見ていて、演劇部ライフを振り返らざるを得なかった。僕は今でこそ脚本の技術で食っているし、プロと遜色ないクオリティの台本を上げていると思っている。しかし僕にだってよちよちだった時はある。その時の顧問は何を思っていたか。また、劇中の「顧問の一番の役割は、演劇を好きなまま卒業させること」という言葉は、後輩を持つ自分にもなかなか考えさせられるものであった。
最後のシーンで、残された先生が元顧問の方に挨拶するのだが、それが観客側であった。「そっちに先生いるの?」というとっかかりができてしまうので、その辺の説明になる事柄は入れておいた方が良かったように感じる。
新クニタチでもいいから、これが上演されたら楽しいだろうなーと思った。
7 秦野高校「ハルキゲニアのとげ」
舞台はシンプルな立方体6つの固定で、学校と食堂、心の中を兼ねる。昼夜往復。
MPで開示されるが、主人公が所謂2重人格で、昼夜で入れ替わっている。劇中で「ドラマみたい」と言っていたが、つまりデイリー「初恋の悪魔」(なんだその例え)。
ただその人格2人は演者としては別人であり、中盤で対面し、いじめっ子に対し共通で立ち向かう。そこが演劇ならではである。この2重人格、応用が効きそうなネタだなと個人的には思った。例えば今回は2人が対照的だが価値観が共通していたが、2人が価値観が逆でお互いを止めるのだとしたら、みたいな。
指の怪我で引っ掛けるところや、序盤に冬という名前を覚え込ませるため、でもそうは思わせない下り。その辺に腕が光る。この脚本を書いた方とは、笑いの作り方や伏線の入れ方から自分と気が合いそうな気がする。ということでFKポイント(だから要らねえんだって)。
総評
全体計9時間を観て感じたことを書く。なお、n数が少ないとの指摘は認める。
舞台は、椅子や机、箱を少なく置いてシーン転換を簡素化する。転換も照明は最小限つけておいて見せる。ホリゾントでバックの色を変える。というのが主流だったように思う(自分もそうやったので、客観的にこう言うのは何か違うのだが)。転換を減らすといっても、場数を2〜3つにするのは現代のストーリーテリングにおいて難しいというのが内情だと考えられる。
ただ裏返しに、シンプルであるが故に、「当たり障りがなく」「各校横一列で」「想像力を働かせないと見えない」という指摘も通るだろう。また照明も、白・オレンジ・青以外は自然色でなく、長時間は採用しにくい。例えば、照明の色を変えてみる。舞台の箱や背景を工夫して、その舞台であるように見えやすくする。多少の危険を受け入れ、舞台の上下方向を使ってみる。そうして差別化を図れれば、審査員の評価は上がるだろう。その辺が今後の焦点だと思う。
音響は、いかに正確に合わせられるか。また、曲は慎重に使ったほうがいい。むしろ凝るべきはSEだ。
また「ベーシックであることは悪ではない」という点を伝えておきたい。基礎を学習し、どう応用していけるかが脚本においての面白さであり、評価されるのだ。
「どうしたら地区大から上位大会に進めるか」は、万国共通の悩みだろう。答えがあれば苦労しない。ただ今回9時間観てきて、改めてこれは確かだと思ったことがある。
はっきり言って、3連続シリアスで重いものとかは、考えにくい。「大会」という観客がくる企画では、運営側も観客を意識せざるを得ない。どのように1日を構成するのか。
大会に新しい価値を提供できれば、割り込める可能性が高い。これは部活演劇だけでなく、全てのところで意識していいのではないだろうか。そういう目線で考えてみてはどうだろう。
終わりに
※次の※まで、演劇関係者以外は読み飛ばしてください。
大会を運営するスタッフへの感謝はもちろん持ちつつ。ただパンフの挨拶にこう書いてある「高校演劇は、集う顔ぶれは変わりゆけども、次の暦の巡りまでも更なる発展をしてゆくことに疑いの余地はありません」。…いや疑ってよ、というのが率直に思ったことだ。
基本的に今後媒体は増える一方であり、相対的に演劇としての意味合いも低下すると推測される。現実的に少子高齢化であり、演劇部の総数も減少している。「悲しいより悲しいのは、ぬか喜びです」(カルテット)。表現において、停滞は死である(基礎を軽んじるのとは異なる)。積極的な施策にこそ期待したい。※
高校演劇大会の最大のメリットはなんと言ってもタダなことです。観て損することはない。そしてどんなに演劇ユニットがない地方でも、必ず最低年1は大会がある。ということで、皆様も一度訪れてみてはいかがでしょうか。
来年の会場は多分横浜じゃないんですよね。この記事が伸びたら、来年またやります。
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