【アンナチュラル#1】エンタメとしての頂点を“徹底解剖”前

いつも脚本にあれやこれやケチばかりつけているように見える筆者。じゃああなたが文句なしに褒めちぎれる脚本なんてあるんですか?

…あるんですね、それが。筆者が「完璧」と称する数少ない脚本の一つが「アンナチュラル」(TBS系、2018冬)。野木亜紀子脚本。

自分が考える野木さんの魅力はなんといっても、どう考えても人智を超えている構成の労力とそれから生み出される威力である。この辺は脚本術を知っているとますます面白くなってくる。今回はできるだけ魅力を落とさないよう分析していきたいため、おそらく3〜4回分に跨ぎます。読み終わると、もう一回「アンナチュラル」を見たくなるはずです。

まずストーリーの話に入る前に、美澄・六郎・中堂のメイン3人について掘っていく。3人がそれぞれ独自の葛藤と究極目的を持っており、共感性と憧れを分担しているのが「アンナチュラル」の1つの特徴だ。こういった「チームでの物語構成」の特権がそれだと思うのである。

美澄ミコト

まず美澄ミコト。このキャッチーな名前もキャラを構成する一つだ。

原始的な目的:生きたい、生きていてほしい

葛藤:「不自然な死」に法医学で挑み、解明し、最終的にそれを無くしたい

><・現実の制度や人 ・謎 ・中堂の考え(中盤) ・犯人の考え(10話)

UDIにミコトの究極目的である「不自然な死」は毎回運び込まれてくるわけで、視聴者はいちいち葛藤なんて見なくていいことになってはいる。これは刑事ドラマ等々で見られる機構なわけだが、分析の際には気にしなくてはいけない。

1話の最後でこんなくだりがある。ミコト「私たちが力を合わせれば、無敵だと思いませんか?」中堂「無敵? 敵はなんだ」ミコト「…不自然な死」。ミコトの葛藤と、物語を貫くテーマがここまでギュギュっと伝わるのは余りあるほどカッコよく、興奮を覚える。

個人的にはバレーボールの三段攻撃みたいだなあと思っている。なんかの機会でこの機構を使ってみたいのだが、未だ使えていない。それだけ高度な技なのである。

そしてミコトの究極目的を支えているのが、2話で示された「亡霊」と呼ばれる、過去の存在である。水没するトラックに閉じ込めながらミコトが六郎に話すのだが、(ミコトが自身の体験を元に論文を書いたという伏線があり)、自身の経験を「彼女」といった3人称で語るのは、客観的であり、このドラマのダイアログとしてしかあり得ないインパクトを保有している。自分のように不自然死で亡くなる人を亡くしたい、それに負けることは自分に負けることだから。それが究極目標である。

中盤では中堂の過去を知り、彼が殺人するのを止めるのが目的となり、ストーリーを牽引する。死で悲しむ人を減らしたい。それが彼女の究極目的だから、中堂だって止めたいのだ。

そして10話・最終回では、ミコトが鑑定結果を変えることで犯人を逮捕させるかどうかの決断を迫られるという、9話からは味が変わったような葛藤の引っ張り方になる。しかしそれは葛藤をきちんと読めていれば必然のことであると思ってもらえるはずだ。それは法医学者としての自分の存在意義を揺るがす契機事件だからだ。

10話の中程でミコトが落ち込み、家で伯母に自分の弱みを見せるシーンがある。不幸な死を無くしたくて法医学の世界に入ったが、結局今日も誰かが死んでいる。自分じゃ変えられないと。これは脚本術で言われるミッドポイント後の「死の気配」のシーンである。ミコトの葛藤を読むと、それは物理的な死ではなく、法医学者としての自分が何もできない“社会的な死”となるのである。葛藤が読めれば、対称となる死のシーンを考察できる。この辺りの「死の種類」を検討するだけで最近のドラマもっと伸びると思うんだけどな…。

伯母はミコトにとって母親代わりのような存在で、これまで食事をしながら親子とも友人とも取れる会話をしてきた。だからミコトが自分の心を打ち明けるようなシーンを作れたのだ。

通常、ダイアログ内では究極目的や性格を直接喋っていいわけではなく、サブテクストと呼ばれるセリフの裏の内容を組み合わせるのが好まれる。しかしこのシーンのように工夫をしていれば、主人公の葛藤を直接(力強く)伝えるダイアログを作ることができる。

で、作品中には度々ミコトが食事するシーンが出てきた。「午前6時から天丼」を筆頭に。作品内で出てくる死と対称な形で、食事が生きることのモチーフになっていることに気づきたい。食べなければ生きていけない、食べてさえいれば生きていける。時に残酷な「死」と、対照で「生きる希望」を描くのがこの物語である。

ホームページの記事などを読むと、ミコトのキャラクター像を表現するのに難儀したとか書いてあるが、個人的にそれは逆な気がする。全話通してミコトの心情ははっきりと読み取れるし、力強い旋律となって視聴者の心を捉えたと思う。

久部六郎

「ろくろ」と呼ばれて可愛がられる六郎。医者の父を持つが、自身は医者になる意味を見出せず、生きる意味が不明のままUDIに来ている。そして週刊誌の会社に情報をリークしているという秘密を抱えており、そこでの葛藤がメインとなってくる。

原始的な目的:自分が何者か見つけたい→正しく生きたい

葛藤:自分に正しく生きて、法医学に貢献したい・(後半)週刊誌を辞めたい><

・力が足りない自分(特に9,10話) ・捻じ曲がった週刊誌の世界 ・宍戸

キャラクターアーク:法医学に価値を感じない→「法医学で不自然な死」をなくしたい

よって六郎はUDIの組織、週刊誌の組織、実家の組織の中で揺れる、モラトリアム的な存在であり、内面の葛藤、そして組織の葛藤にフォーカスされている。

後半に向けてミコトから法医学の価値観を教わり、正しく生きたいと思い始めた六郎は、週刊誌を辞める方向に感情が向く。しかし彼は宍戸に情報を公開されては困るので、週刊誌を辞めることができない。それは過去の自分が悪い行いをしていたからだ。自己への葛藤。

そして、連続殺人に宍戸が関与していると勘づいた六郎は、正義感から情報を基に宍戸を追い詰めるが、逆に利用されて捜査を掻い潜られてしまう。

で一つの特徴が、六郎の役割の一つに、彼の目線から視聴者に物語を見させることがある点である。視聴者は法医学の知識なんてないわけだ。しかしそれに対して主人公のミコトは詳し過ぎて、劇中でいちいち解説するのは不自然だ。よって視聴者が思うであろう謎を投げかける六郎の存在が必要となってくるのである。1話の「SARSって、…インフルエンザですか?」がいい例だろう。またミコトは刑事事件的な側面に興味がなく、六郎にその部分を補完的に進めさせることでバランスを取っている。週刊誌のくだりもそうである。やはりこの「視聴者目線になってくれるキャラ」の、ドラマにおける現実的な必要性は高い。

8話の最後で六郎は父に、自分はUDIで努力したいと伝え、父はそれを認めるも、二度と敷居を跨ぐなと言い残す。ラストに突入する前の六郎の変化が読めるだろう。

10話で六郎はUDIを辞める事となるが、その後週刊誌の繋がりで糀谷の父と彼が知り合い、最後の裁判の結果へとつながる。決して六郎の足掻きは無駄ではなかったと、強く物語内で結論をつけている。

10話の最後で彼が帰ってきて言った、法医学で不自然な死をなくしたいですというのは明確なキャラクターアーク、変化を表している。彼に視聴者の心情は乗っかっているから、そのまま視聴者の関心も法医学に向けられた事となる。

これに対するUDIメンバーのリアクションはいくつか考えられるが、これまで通り彼に接することは、彼への信頼を何よりも強固に表すものであり、これからも続く旅路を示すものである。

これだけ大きな六郎のキャラクターの軸を持っておきながら、そんな大事なラストの部分を(いい意味で)せいぜい1,2分で終わらせてしまうのも、内容が確かで充実している、エンタメを理解した「アンナチュラル」ならではだろう。

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