【海眠ダイヤ】”明瞭化”で深まる”謎”〜中間編

※この記事は5話終了時点で発しています。理解ください。

2024冬、TBS系日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」。脚本野木亜紀子

よく考えれば、野木脚本はこれまで東京を脱出したことがなかったと共に、時系列順も単純な一本筋だった。かなりこれまでと変化のある作品だ。また野木さんのカチッとしているという一般的な印象を覆すという流れの上でも、一つ大事な作品であっただろう。「不適切にも」が現在過去が対等な関係だったとすれば、今作は端島が優勢な不均衡な関係であった。カットバックというよりは、現在軸は論理の進展程度にとどめた。”賢明”な判断かもしれないが、その進行の一般評価は気になるところとなろう。

 

1話

スタートダッシュが爆弾だらけだった。セカンドシーン(?)でのインパクトがすごい。いづみがコンビニおにぎりの海苔を無視して食べ、玲央が自身の写真にコーヒーを投げつける。そして次、いづみは玲央の自転車に掴みかかって「私と、結婚しない?」…いやあ、中々。行動からのキャラ固定のインパクトはさすが。

画としても、金髪のホストと腰の曲がったおばあちゃんの並びは目をひく。長崎では玲央に視聴者の目線を持たせているが、単純に玲央と視聴者が共感するかと言われれば微妙で、六郎に比べればかなり癖がある。

一方、後半にかけてはかなり素直に組まれた印象。ターニングポイントを作らず、最後に必要な要素を逆算して前に前に出していった。ツリー状。

鉄平の究極目標、「本島の人に端島をバカにされたくない」で葛藤を確保、それをリナの流れ、炭鉱夫救助の流れの価値軸と結んで構築した。最後の一平に認めてもらうシーンで究極目標を+に転換してオチにした。そして現代の「人生、変えてみたくない?」に繋いでいづみの存在の謎の明瞭化を少し行った。

時間の飛びは比較的おとなしめだったが、中盤で端島パートが2日程度進む中現代パートが1日しか進んでなく、ここはストーリーのつながり優先だったのだろうが、やはり直感的な理解には少し水をさしている感じがある。

ところで最後の一平がなぜ鉄平を認めたのか、炭鉱夫を助けられて機嫌がいいのか、それともリナの件をどこかで聞いていたのか、は正直わかりにくい。しかしあくまで全体が鉄平においての価値軸で貫かれているからそれは些細なこととして片付けることができよう。

全体の構成として、端島の時間軸だけでは未確定でしかない未来を、現在と挟むことで視聴者に想起させ、謎として扱うことができるのは考えぬかれたものだろう。

2話

タイトル前のスクエアダンスがオシャレ。視覚的かつ端的に、今回は恋を扱うというテーマ提起をやってのけた。結果論から言えば、賢将→朝子→鉄平→百合子ー賢将、スクエアダンス。(この辺の詳しい話はカルテット#1を参照。最後百合子がベクトルを吐露してオチをつけるのはカルテット#3のようでもある)。

進平の亡霊が示されたが、それ自体は回収されなかったので今後に期待。人間の行いが自然の猛威となって帰ってくるとの端島的死生観は、どこかジブリっぽさを感じさせる。

玲央がアイリに言った「本当のところ、俺はホストの仕事好きじゃない」の言葉は、玲央の本心なのも事実で、アイリを動かすための策なのもまた事実で、策で本心を言えることへの安心感や自身への嫌悪も読める。自己の意識による人格の二重の殻という特徴を、芯から捉えたセリフ。

4話

悲惨に描くか史実に行くか、全体主義個人主義か。すぐに偏ってしまいやすい戦争への描写で、野木さんの熟考が見て取れる。

この回は百合子の個人葛藤が軸。百合子の母親が亡くなる・8月が来る・賢将と別れて孤独になるの3つが契機事件となる。住職への独白と、賢将が昔無くしたネックレスを戻してくれるという小道具の描写を軸に、百合子の朝子へのあたりが良くなるという行動の変化につながり、物語がV字状に回復していく。

終戦前、ちょっとした朝子のいたずらで、百合子はキリシタンの母と長崎に渡り、原爆を経験する。百合子にとってキリスト教は母と重なるものであり、かつ現実に救いを与えてくれないものである。ネックレスが戻ってきたということはキリスト教のささやかな救いを意味し、だからあのシーンの百合子の涙にはその意味がある。

現代で続く戦争の中で、祈るというとそれは神や運命に対してと考えられる。しかし現実に行動するのは人であり、祈る無力さが浮き彫りとなる。しかし実際は、人々が過去の過ちを繰り返さず、乗り越えるために祈るのであり、そのために祈りがあるのだ。この結論が心に染みる祭りだっただろう。百合子の「奇跡は、人が起こす」は、そのサブテクストからの力強さを感じるとともに、クライマックスへの軸になりそうなセリフである。

本筋とは関係がないが、最後の進平がリナに「贈り物を返すのが端島の風習だ」と言い、他の人が「そんな風習あったっけ?」「さあ」と言う(実際端島は風習がごちゃ混ぜという情報は入っている)。このセリフのオシャレさすごくない?

5話

団結/疎外・孤立を価値軸に、賢将の葛藤を主軸としながら。投票という+での団結の裏で、秘密を共有した一平らによるーの団結が重なっている。中盤の2人の言葉をどれだけ伏線として捉えられたかが大事。2話の海の幽霊の伏線もこれで回収…したのか?

あまりこういうこと言いたくないが、今回脚本と演出の組み合わせがすこぶる良くない。鉄平以外のナレーション入れてどうすんだとの話。賢将を一平がなでるシーンは重ねているんだから、過去のをスロー入れて差を作ってどうする。タイトルの軽視。そして、中盤のDNA検査の前でやたら音入れてCM入れて引っ張ったのはミス。

これが本当ならば、普通もっと意味を持たせて最後か回跨ぎに置くし、いづみと玲央は人間関係のない上でのつながりが面白いのだから。野木さんも暗に「違うよ、最後への伏線だよ」と言っているようなものなのだから、意図の読み取りがずれていることになる。

脚本術でクライマックス予想

さて、5話ラストで朝子=いづみというのを明瞭化した。えーここで出すの、と感じたと言うのも、この謎で最後まで引っ張り、8話か9話で小道具か行動かで繋ぐと思っていたからである。それがなぜかといえば、やはり全体が「タイタニック」の構成に酷似しているからだ。

タイタニック」が回想構成であることは、中盤まではほとんど意味をなさない。これが存在している理由は、探検家ロベットに視聴者の目線を担わせ、最後ローズが宝石を水中に落とすことで、探検家のアークを+に変換し確保してエンタメとすることである。

今作もその構造になっている理由は、1話で玲央に今の端島を見せ、視聴者の目線を担わせること、そして最後で玲央のアークを+につけることだろう。1話の、自分の写真にコーヒーをぶつける自己への嫌悪感を変化させるが、社会を変える行動といった大きなアークは取れないだろう、自然じゃないから。

端島が廃れていくことは歴史上明白であるし、変えられない。鉄平もおそらく何らかの物理的社会的障害と「端島をよくしたい」という究極目標で戦い、「海に眠る」だろう。最終話で現実から超越する手もあるが、流石にそれはできなさそうだ。

ただ、今回の明瞭化で一つ解禁されたことがある。いづみ=朝子によるナレーションと、価値の貫通である。逆にそれをどう使っていくか、それがなければ、このタイミングでの明瞭化は本当に「謎」としか言いようがない。

クライマックスに現代をどう接続させるかだが、玲央といづみが力関係的に不均衡であることを踏まえれば、いづみに葛藤を与え玲央に変革を迫る、物理的障害として危篤状態にさせるのが一番素直なのではと思う。それで端島の障害と揃えて価値で繋ぐ。

さあどうなるか。よく考えれば「アンナチュラル」でも5話で、かなり大きなターニングポイントを作っていた。謎に強い野木さんを信頼するが、どうクライマックスに向けていくか、どの究極目標を価値軸を重ねていくかは、この5話でだいぶ読めなくなった。発着順序が変化しましたが、次こそ「カルテット」#1やります。

※この言葉に媚びるのは嫌だが、今回は本気でアクセス数取りに行きたいので入れる。「考察」「感想」

(ところでTBSさん、そろそろNWCの人に書かせますよね?)

完結編